「マヤ文明からみた『時間』」


<第1回>

○いよいよ21世紀が始まりました。一つの世紀が終り新しい世紀が始まるという100年に一度、千年紀で考えますと1000年に一度という大きな転換期を私たちは体験しています。ここで言う「世紀」というのは西洋暦での時間の単位ですね。つまり、「時間」。このインタビューでは、マヤ民族にとって『時間』とは何だったのかについてまずうかがいたいと思います。

■わかりました。

本表紙『マヤ文明聖なる時間の書』○先生のご本『マヤ文明 聖なる時間の書』を拝見しますと、マヤ民族は時間について非常によく考えていた人たちだったという印象を受けます……。本インタビューのテーマに入る前に、マヤ文明をご存知ない方もいらっしゃると思いますので、、まず「マヤ文明」について簡単にレクチャーしていただいてもよろしいでしょうか。

■それではマヤ文明の歴史を簡単にご説明しましょうか。

 マヤ文明は中央アメリカのマヤ地域に栄えた文明です。具体的にはメキシコ南部、ユカタン半島、グアテマラ、ベリーズ、ホンデュラス北西部、エル・サルバドルを含む一帯。
 歴史的に言ってマヤ文明は大きく四つの時期に分けられます。紀元前2000年頃以前を【黎明期】、紀元前2000年頃から西暦200年頃までを【先古典期】、西暦200年頃から900年頃までを【古典期】、900年頃から16世紀初頭にスペインの征服者によって征服されるまでを【後古典期】と言います。
 【黎明期】とは文字通り、文明の夜明け前、つまりマヤの先史時代と言ってもよいでしょう。

 そして紀元前2000年頃にマヤ文明の第一段階が始まります。
 最も古い遺跡が見つかっているのはメキシコ南西部からグアテマラ南部にかけての太平洋沿岸、それからグアテマラ北部のペテン地域からベリーズにかけての一帯です。これがいわゆる【先古典期】と呼ばれる期間です。これは非常に長い期間で、前期、中期、後期と区分されています。この前期から中期にかけて最初の都市が現れます。イサパ、アバハ・タカリック、モンテ・アルト、ナクベなどがマヤ最古の都市です。後期はカミナルフユ、エル・ミラドール、ワシャクトゥンなどの巨大都市が栄えて、結局先古典期は2000年以上も続きました。

拡大します  【古典期】は、マヤ文明のピークと一般的に言われている期間。グアテマラのペテン地域を中心に、西端はメキシコ、チアパス地方北部、また東端はホンデュラスの西北部、あるいはエル・サルバドルに及びます。かなり広大な地域ですが、ユカタン半島の根元にあたるジャングル地帯で、古典期マヤ文明が百花繚乱と咲き乱れます。ティカール、キリグア、コパン、パレンケはその代表的な都市ですね。
  その後理由はまだ定かではないのですが、だいたい西暦800年頃からのたかだか100年ほどの間に、密林の中に栄えたこれらの都市が一つまた一つと滅びてしまう……、放棄されてしまいます。いわゆる古典期マヤ文明の崩壊です。

 しかしそれで文明が途絶えたかというと、そうではなくて、その後また場所を変えて、【後古典期】マヤ文明が始まります。これは西暦1000年ぐらいから1300年ぐらいまで栄える。その中心はユカタン半島の北方に栄えたチチェンイッツァ、ウシュマル、コバーなどですね。

 衰退したマヤ文明が最終的に滅びるのは、スペイン人征服者によるものです。場所によって違いますけども、例えばマヤ・キチェー王国はスペイン人征服者ペドロ・デ・アルヴァラードによって1524年に滅ぼされました。これが通説によるマヤ文明の歴史です。だから時間的に見ると、マヤ文明が紀元前2000年ぐらいから始まったとすれば、ほぼ3500年に渡って延々と続いた文明だと言えますね。


ギリシャ文明的な都市国家

○マヤ文明というのは、具体的にはどのような国家形態で成り立っていたんでしょうか。

■そうですね。都市ごとに発達した国家だったようです。いわゆる都市国家。都市ごとにそれぞれ固有の文化を持って発達していたと考えられますが、マヤ的文化伝統という意味では恐らくあまり違わないと思いますね。時期によっても異なるとは思いますが、また都市国家圏というか、大きな意味でのマヤ文明圏というのはあったけれども、マヤ統一国家というものはとうとうできなかったんです。
  それが非常に不思議な感じするんですけども、そういう意味ではある意味で、ローマ帝国的な存在ではなくて、ギリシア文明的なそういうものを感じます。

○どうして統一されなかったんでしょう?

■それは謎ですね。僕もよくわかりません。

○例えば環境的な厳しさであるとか、そういったことは関係あるんでしょうか。

■それはないと思いますね。

 例えば全く同じ自然環境ではありませんけど、メキシコの中央高原に栄えた文明に「トルテカ」があります。これは統一国家です。だいたい西暦900年ぐらいに勃興して、それから2、300年続きます。
 トルテカは強力な軍事国家でした。軍事力にものを言わせて領土を広げて、メキシコ中央高原一帯に広大な地域を支配する大帝国を作りあげた。それほど長くは続かないんですが…。
  そのあと今度「アステカ」が興って、これはもっと短命で、100年ちょっとしか続かないんですけど、これもかなりの地域にまたがる統一国家を作ってしまうんです。
 しかし、マヤ民族にはそういうものに比肩するような広域国家というのは、とうとう現れなかったですね。地域的な特性があるかも知れません。あるいは活動地域が密林に覆われていたという可能性がないわけではない。ただ、かなりの部分が農地として耕されていたようなので、むしろ密林に覆われた状態になったのは、都市が放棄された後のことかも知れないません。気候の変動があった可能性もあります。何が真実かは今となっては知る由もありませんが、どうも領土拡大というものにあまり興味を示さなかったようです。 たとえば古代ギリシャのアテネとスパルタの関係によく似た例があります。ティカールとカラコルです。二つとも古典期の強大な都市国家ですが、相譲らないライバル関係にあったようです。

拡大します 軍事的にはカラコルの方が強かったようなんです。ティカールはカラコルに破れて、100年ぐらいかな、支配下に置かれます。しかし、ティカールは軍事的にではなくて、経済的に勢力を盛り返します。が、逆にカラコルの方は衰退して、最終的にはその領地から追い出されてしまう。その後ティカールは第ニの繁栄期を迎えます。
  そういう競合関係というのはありますが、だけどそれを越えて全域を制覇するような、そういう発想っていうのはなかったような気がするんです。そのへんが非常に面白いと言えば面白いですね。

○統一国家を作ったトルテカ帝国はメキシコにあったとすると、マヤの都市国家と隣り合っていますね。そうするとトルテカ族による干渉というのもあったのではないですか?

■あったと思います。だいたい西暦900年ぐらいを境に、古典期のマヤ都市国家のほとんどが放棄されてしまいます。
 僕の知り得た範囲内での結論ですが、マヤ古典期文明が突然途絶えてしまうのは、内的要因とともに、トルテカの侵入が非常に大きな要因である可能性があると思います。
  中央メキシコ高原で発祥したトルテカ帝国は、何千キロも下ってきて、ありとあらゆる所を制覇しています。モンゴル帝国のようにほぼマヤ地域全域を制覇しているんです。グアテマラのキチェー王国も侵入したトルテカ人が建立した可能性が強い。拙書の中でも重要な役割を果たしているマヤ最大の部族・キチェー族の神話『ポップ・ヴフ』はあきらかにトルテカ文化の影響を受けています。

  初めの質問に戻りますと、統一国家というのはトルテカ人にはあった発想ですが、マヤ民族にそういう発想は多分なかったんじゃないかと思うんです。だからそういう意味でちょっと異質な文明かなっていう気がします。もっともマヤの歴史については、とにかくこれからですね。ここ20年ほどかなり研究が進んできてはいますが、まだわからないことが多すぎるというのが本当のところです。どういう社会形態だったのかというのもまだまだわからないところが多く、本当のマヤ学はこれから始まっていくと言ってもよいかもしれません。


マヤの時間思想と天文学

○それでは、そういったことを踏まえてマヤ人が作り出した最も重要な文化【時間思想】を、簡単にレクチャーしていただけますか。

■これが実はあまり簡単ではなく、とても複雑な思想でして・・・。最終的には拙著『マヤ文明 聖なる時間の書―現代マヤ・シャーマンとの対話』、あるいは最近まとめた論文『マヤ文明の時間思想について』を読んでいただく他はないと思うんですが(笑)。
 マヤの時間思想には単一の概念では割り切れないものが含まれている。複数のコンセプトが混じってるような気がします。

○複数と言いますと…

■例えば、世界にはいろんな時間思想がありますね。直線的なものとして時間をとらえる文明、円環的な時間、それを重視するそういう文明、文化があると思うんですが、マヤの場合、形式的には両方持ってたということです。
 それは彼らが恐らく非常に優れた科学者、天文学者であったからだと思うんですが、両方の時間コンセプトを考えています。

○直線的な時間と円環的な時間とはどういったものなんでしょうか。

■マヤの場合、直線的な時間の流れというのは、いわゆる長期計算法と言われているものです。ある一定の時点からの時の経過を表記する、まあ西暦に似た考えですね。西洋文明的な影響下にある現在、この直線的な時間とういうのが世界の標準と言ってもいいかもしれない。もちろん日本も例外ではありません。それが一つありますね。
 それから円環的な時間ですけども、ぐるりとまわってまた帰ってくる…そんなイメージです。マヤには、これが二つありまして、一つは365日の「太陽暦」。それからもう一つが260日の「神聖暦」と言われているものです。この二つは連動していて、ある日が両方のカレンダー上で重なったとすると、それがまた再びぴったり重なるのが、太陽暦で言うと52年、神聖暦で言うと73年後です。そういうサイクルでその二つのカレンダー上の日がまた再びめぐり合うことになります。この52年というのは何か一つのことが終わる、意味のある期間とみなされていたようです。
 直線的な時間と円環的な時間、それを組み合わせたものがマヤの最終的な「時間思想」と言えるかもしれません。これは「螺旋的」な軌跡を描く時間の流れになります。

 それはともあれ、直線的な時間と円環的な時間、このどちらがマヤ人にとってより重要だったかと言うと、やはり円環的な時間でしょうね。
 円環的時間の中心になるのは、神聖暦です。神聖暦はキチェー語でエル・チョルキッヒ(またはエル・ソルキッヒ)と言います。ここで「キッヒ」は「日」を意味し、これがマヤでは「時間」を意味するコンセプトです。

 この神聖暦の根幹は「20ナワール」といわれるもの。「ナワール」というのはもともとキチェー語で「精神」、「スピリット」を意味しますが、ここでは「日に宿る精神、スピリット」ということです。つまり「20ナワール」とは20個の日の精神、スピリットと解釈できるでしょう。たとえばこのマヤ文字(左図)は「ツィキン」というナワールを表していますが、「鷲・良いこと・生産」という意味を持っています。このように、20のナワールはおのおのがユニークで、異なった性格、特徴を持っています。こうした20ナワールが交代で世界を統括しながら、世界が発展的に展開していくというのが、マヤの根本的な時間思想です。

○ナワールの考え方とは、日本での大安とか、そういうものとは似ているところがありますか。

■似ていると思います。それぞれの日ではなくて月でもいいし、年でもいいんですけども、それにある特徴があって、それがそれぞれの瞬間を特色づけるという考え方ですね。世界的に見ても、こういった風習は良くあることなんじゃないかと思います。それほど変わったことではないでしょう。日本も大安とか仏滅とかいろいろありますね。他の恐らく文化圏にも似たようなものがあると思います。
 ただマヤの場合の特異性というのは、それを徹底して追求したということに尽きるんじゃないでしょうか。

 現代文明においては時間とは主に「数量的」な意味しか持ちませんが、マヤ文化においては逆に数量的な時間は本質的な意味を持ちえません。マヤ時間思想の最大の特徴は、それぞれの日が独特の性質、傾向を持ったナワール(精神、スピリット)によって統御されていて、それによって世界が成立しているということです。

 マヤの世界観によれば時間とは、「世界に働きかけて、それを動かし、進化させるものである」。その意味でマヤ人にとって時間とは究極のエネルギーなのです。時間とは神のような存在なのです。そしてその時間エネルギーの素子、曼荼羅とでも呼ぶべきものが「20ナワール」なんです。そういう意味ではすごく特異な文明だったんですね。

○マヤの場合はまず時間ありき、だということでしょうか。確かに私たちにとって時間は重要なものですが、それによって何かが始まる、というものではないですね。ただ流れていく、無常なものといった…

■そうです。普通は時間というものに対して、それほど重要な意味を与えていないのが、大半の文明だと思うんです。確かに重要なファクターではあるけれども、それよりもっと大事なものがある。少なくとも世界を創り出したのは時間であるとか、世界を発展させたのは時間であるとか、人生を決定づけるのは時間であるとか、そういうところまではおそらく極論しなかったんじゃないかと思うんです。だからそこが非常に不思議と言えば不思議なんです。何で彼らはここまで考えたんだろうと。
 フィールドワークをしていてマヤ文化の中に染まってしまうと、ごく自然に思えるんですけども、マヤ人が時間にこだわるその根本理由は何かとあらためて聞かれると、僕にもよくわかりません。

○根本理由と言うと、例えば何故そこまで時間を特別に重要視したかということですね。

■そうですね。

○「マヤは優れた天文学者だった」とおっしゃられていましたが、星を観察することによって、時間に対する考察というのが非常に発達したというふうに言われてましたけれども、天文学者だとどうして時間を思考するようになるんでしょうか。

■古代の天文学は要するに星の観測だったと思います。それも肉眼での。
 古代の天文学者はある星がある時間にある場所に現れて、それがどういう動きをして、いつまた元の所へ戻ってくるのか、それを正確に調べたのだと思います。つまり星の周期性です。それを測ることによって一年の長さを知ったとも言えるでしょう。
 ただ遠くまで見える天体望遠鏡、あるいは電波望遠鏡があったわけでもないし、実際には極めて困難な作業だったと思います。マヤ人はものすごい精度で天体の周期を測っていますが、肉眼だけでいかにしてそういう曲芸が可能であったのかは謎ですね。

 星の周期を正確に測るには正確な時間の測定が必要になります。どういう工夫が凝らされたのかはわかりませんが、これが優れた知性と無限の忍耐を必要とする大事業であったことは間違いないでしょう。その時マヤの天文学者はいやでも時間について熟慮せざるを得なかったのではないでしょうか。

 すぐれた天文学者であったマヤ人は太陽の公転周期、日蝕や月蝕、はては金環食に至るまで非常に正確な計測をしています。だが彼らはそれだけでは満足しなかった。彼らは時間というこの不思議な事象にとりつかれてしまった。そしてさらにその奥にある宇宙と生命の神秘を解き明かそうと考察を深めた。そうした思考の反復の結果、あのユニークなマヤのカレンダーが誕生したのだと思います。

・・・・・・・・・・・・・以下第2回に続きます(編集部)

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