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<第1回> ○いよいよ21世紀が始まりました。一つの世紀が終り新しい世紀が始まるという100年に一度、千年紀で考えますと1000年に一度という大きな転換期を私たちは体験しています。ここで言う「世紀」というのは西洋暦での時間の単位ですね。つまり、「時間」。このインタビューでは、マヤ民族にとって『時間』とは何だったのかについてまずうかがいたいと思います。 ■わかりました。 ■それではマヤ文明の歴史を簡単にご説明しましょうか。 マヤ文明は中央アメリカのマヤ地域に栄えた文明です。具体的にはメキシコ南部、ユカタン半島、グアテマラ、ベリーズ、ホンデュラス北西部、エル・サルバドルを含む一帯。 そして紀元前2000年頃にマヤ文明の第一段階が始まります。
しかしそれで文明が途絶えたかというと、そうではなくて、その後また場所を変えて、【後古典期】マヤ文明が始まります。これは西暦1000年ぐらいから1300年ぐらいまで栄える。その中心はユカタン半島の北方に栄えたチチェンイッツァ、ウシュマル、コバーなどですね。 衰退したマヤ文明が最終的に滅びるのは、スペイン人征服者によるものです。場所によって違いますけども、例えばマヤ・キチェー王国はスペイン人征服者ペドロ・デ・アルヴァラードによって1524年に滅ぼされました。これが通説によるマヤ文明の歴史です。だから時間的に見ると、マヤ文明が紀元前2000年ぐらいから始まったとすれば、ほぼ3500年に渡って延々と続いた文明だと言えますね。 |
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○マヤ文明というのは、具体的にはどのような国家形態で成り立っていたんでしょうか。 ■そうですね。都市ごとに発達した国家だったようです。いわゆる都市国家。都市ごとにそれぞれ固有の文化を持って発達していたと考えられますが、マヤ的文化伝統という意味では恐らくあまり違わないと思いますね。時期によっても異なるとは思いますが、また都市国家圏というか、大きな意味でのマヤ文明圏というのはあったけれども、マヤ統一国家というものはとうとうできなかったんです。 ○どうして統一されなかったんでしょう? ■それは謎ですね。僕もよくわかりません。 ○例えば環境的な厳しさであるとか、そういったことは関係あるんでしょうか。 ■それはないと思いますね。 例えば全く同じ自然環境ではありませんけど、メキシコの中央高原に栄えた文明に「トルテカ」があります。これは統一国家です。だいたい西暦900年ぐらいに勃興して、それから2、300年続きます。
○統一国家を作ったトルテカ帝国はメキシコにあったとすると、マヤの都市国家と隣り合っていますね。そうするとトルテカ族による干渉というのもあったのではないですか? ■あったと思います。だいたい西暦900年ぐらいを境に、古典期のマヤ都市国家のほとんどが放棄されてしまいます。 初めの質問に戻りますと、統一国家というのはトルテカ人にはあった発想ですが、マヤ民族にそういう発想は多分なかったんじゃないかと思うんです。だからそういう意味でちょっと異質な文明かなっていう気がします。もっともマヤの歴史については、とにかくこれからですね。ここ20年ほどかなり研究が進んできてはいますが、まだわからないことが多すぎるというのが本当のところです。どういう社会形態だったのかというのもまだまだわからないところが多く、本当のマヤ学はこれから始まっていくと言ってもよいかもしれません。 |
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○それでは、そういったことを踏まえてマヤ人が作り出した最も重要な文化【時間思想】を、簡単にレクチャーしていただけますか。 ■これが実はあまり簡単ではなく、とても複雑な思想でして・・・。最終的には拙著『マヤ文明 聖なる時間の書―現代マヤ・シャーマンとの対話』、あるいは最近まとめた論文『マヤ文明の時間思想について』を読んでいただく他はないと思うんですが(笑)。 ○複数と言いますと… ■例えば、世界にはいろんな時間思想がありますね。直線的なものとして時間をとらえる文明、円環的な時間、それを重視するそういう文明、文化があると思うんですが、マヤの場合、形式的には両方持ってたということです。 ○直線的な時間と円環的な時間とはどういったものなんでしょうか。 ■マヤの場合、直線的な時間の流れというのは、いわゆる長期計算法と言われているものです。ある一定の時点からの時の経過を表記する、まあ西暦に似た考えですね。西洋文明的な影響下にある現在、この直線的な時間とういうのが世界の標準と言ってもいいかもしれない。もちろん日本も例外ではありません。それが一つありますね。 それはともあれ、直線的な時間と円環的な時間、このどちらがマヤ人にとってより重要だったかと言うと、やはり円環的な時間でしょうね。
○ナワールの考え方とは、日本での大安とか、そういうものとは似ているところがありますか。 ■似ていると思います。それぞれの日ではなくて月でもいいし、年でもいいんですけども、それにある特徴があって、それがそれぞれの瞬間を特色づけるという考え方ですね。世界的に見ても、こういった風習は良くあることなんじゃないかと思います。それほど変わったことではないでしょう。日本も大安とか仏滅とかいろいろありますね。他の恐らく文化圏にも似たようなものがあると思います。 現代文明においては時間とは主に「数量的」な意味しか持ちませんが、マヤ文化においては逆に数量的な時間は本質的な意味を持ちえません。マヤ時間思想の最大の特徴は、それぞれの日が独特の性質、傾向を持ったナワール(精神、スピリット)によって統御されていて、それによって世界が成立しているということです。 マヤの世界観によれば時間とは、「世界に働きかけて、それを動かし、進化させるものである」。その意味でマヤ人にとって時間とは究極のエネルギーなのです。時間とは神のような存在なのです。そしてその時間エネルギーの素子、曼荼羅とでも呼ぶべきものが「20ナワール」なんです。そういう意味ではすごく特異な文明だったんですね。 ○マヤの場合はまず時間ありき、だということでしょうか。確かに私たちにとって時間は重要なものですが、それによって何かが始まる、というものではないですね。ただ流れていく、無常なものといった… ■そうです。普通は時間というものに対して、それほど重要な意味を与えていないのが、大半の文明だと思うんです。確かに重要なファクターではあるけれども、それよりもっと大事なものがある。少なくとも世界を創り出したのは時間であるとか、世界を発展させたのは時間であるとか、人生を決定づけるのは時間であるとか、そういうところまではおそらく極論しなかったんじゃないかと思うんです。だからそこが非常に不思議と言えば不思議なんです。何で彼らはここまで考えたんだろうと。 ○根本理由と言うと、例えば何故そこまで時間を特別に重要視したかということですね。 ■そうですね。 ○「マヤは優れた天文学者だった」とおっしゃられていましたが、星を観察することによって、時間に対する考察というのが非常に発達したというふうに言われてましたけれども、天文学者だとどうして時間を思考するようになるんでしょうか。 ■古代の天文学は要するに星の観測だったと思います。それも肉眼での。 星の周期を正確に測るには正確な時間の測定が必要になります。どういう工夫が凝らされたのかはわかりませんが、これが優れた知性と無限の忍耐を必要とする大事業であったことは間違いないでしょう。その時マヤの天文学者はいやでも時間について熟慮せざるを得なかったのではないでしょうか。 すぐれた天文学者であったマヤ人は太陽の公転周期、日蝕や月蝕、はては金環食に至るまで非常に正確な計測をしています。だが彼らはそれだけでは満足しなかった。彼らは時間というこの不思議な事象にとりつかれてしまった。そしてさらにその奥にある宇宙と生命の神秘を解き明かそうと考察を深めた。そうした思考の反復の結果、あのユニークなマヤのカレンダーが誕生したのだと思います。 ・・・・・・・・・・・・・以下第2回に続きます(編集部) |